取り越し苦労と感謝
いよいよ本気の冬がやってきましたね~。
急に寒くなるギリギリセーフで先日我が家の娘の七五三のお祝いをしました。
コロナの影響もあり来年にしようかと考えていたのですが、少し落ち着いていた時期(オミクロンがまだ登場していませんでした!)だったのと、来年になるともう子供っぽさが消えてしまっていそうな気がして急遽行うことにしました。
しかし憂鬱です。
大人しく撮影できずに脱走を繰り返し何時間かかるだろう…
しかも最近変顔ブームだ…
途中でお昼ごはんなんて食べたら着物をどれだけドロドロにするだろう…
神社の池のアヒルを捕獲しようとするに違いない…
もし亀もいたら大声で呼ぶだろう…
参道の砂利を大量にポケット(袂)に入れるだろう…見ていないときに。
祈祷の最中に寝るかもしれない…
起きていたとしても神主さんの帽子に物申すだろう…
最終的には着物を脱ぎ棄てることは確実だ…
心配要素しかありません。
しかし祖父母も楽しみにしているし、やらないわけにはいかない!なんとかなるのか!?
何故こんな大変な行事が現代になっても無くならないんだ!?
もしや私の知らない重要な意味合いがあるのか!?ならば是非知っておかねば!と思いアレコレ調べてみました。
しかし、あちこちどこを見ても特別な理由はなく、現代と無縁の古いしきたりの名残であっても子供の健やかな成長を願う親の気持ちは今も昔も変わらず、七五三の行事は廃れない、という結果でした。
いざ終わってみれば予想を上回るノリノリ感で撮影は順調に終わり、チョコを食べたらお昼ご飯は拒否されて大人が空腹に耐えることになり、寒いからか池にアヒルも亀もおらず、神社の薄暗さに怯えて祈祷中はガッシリとしがみついており、何事もなく汚れることもなくすんなりと終わりました。
結局は取り越し苦労だったわけですが、すんなりと終われたのは、上手に小物を使って娘を喜ばせて盛り上げてくれる写真館のお姉さん達や、通りすがりに「可愛いわねぇ」「素敵なお着物ねぇ」などと声をかけてくれた方々のおかげです。
もちろん私も声をかけていただけると嬉しかったですし、娘もますます上機嫌になってくれて本当に助かり救われました。
今後私も、七五三や成人式それに入学式や卒業式の子供たちと遭遇した時は、さりげなく自然にお祝いの言葉をかけられるような人になりたいなと思いました。
(文/山本)